2018年1月15日月曜日

ポーランド人「親日感情の原点」はMATSUYAMA

昨年11月に続き東欧に来ています。前回は初めてということもあり、目的地にたどり着くことで精いっぱいでしたが、今回は仕事の合間にポーランドに滞在する日本の方とゆっくりお話しする時間を持てました。そんな中知ったのは、私の故郷愛媛県松山市はポーランドの人にとって特別な場所であるということ。

松山に住む人ならよく耳にする「ロシア兵墓地」。ボランティアで清掃活動に参加したことがある人も少なくないでしょう。この場所、実は「ロシア人墓地」の名で知られていますが、2008年、ワルシャワ大学の研究者らの調査で、ロシア兵として戦ったポーランド人12名が埋葬されていることが明らかとなり「ロシア兵・・・」と改称されることとなりました。

「世界はこれほど日本が好き」(河添恵子、2015)によると、日露戦争開戦当時、日本に収容された捕虜の数は7万2千人。その中の4700人がポーランド人だったとされており、松山市内には、埋葬されている方々以外にも100名以上が滞在されていたそうです。ポーランド人に限らず、捕虜の方々の生活ぶりは陸軍の報告書などに記されており、多くの文献等で紹介されていますが、「場所は収容所生活」という言葉から想像されるものとは異なり、滞在場所は公共の施設や民間の建物。温泉での傷病者の慰安と治療、病院には娯楽室、祈祷室、テニスコート、ジムが設けられ、一般市民も日用品、飲食物、たばこなどを持って慰問に訪れたそうです。

この背景にはその当時日本が史上初の傷病者保護条約であるジュネーブ条約に加盟し、その普及に尽力していたことがあるそうですが、愛媛県は何度も松山に「捕虜は罪人ではない。祖国のために奮闘して敗れた新庄を汲み取って屈辱を与えるような行為は厳に慎め」との訓告を発していたそうです。愛媛のおもてなし精神の表れでもあるでしょうか。

捕虜の中には日本帰化を望むものや、日本人女性との結婚を考える人もいたのだとか(松山でのロシア兵と日本人女性の恋の物語は最近ミュージカルとなり、1年間上演されていました「誓いのコイン」坊ちゃん劇場) )。

愛媛に限らず日本全国29か所の収容所に滞在した数千人のポーランド人の多くが日本に好印象を抱いて帰国し、そのことが現在の親日感情の原点になっているとも言われていますが、開戦当時の前線における投降への合言葉が「MATSUYAMA」だったと聞くと、松山の貢献は少なくないことが解り、嬉しい気持ちがします。

今回お話しをお聞かせくださったワルシャワ日本語学校の坂本龍太朗先生によると、「ポーランド人は日本に片思い」なんだそうです。ポーランド人の思いとはよそに、日本はポーランドにあまり関心を向けていないのだとか。せっかくの歴史的つながりを絶やさないように、坂本先生と一緒にこれからも活動をしていきたいです。

ワルシャワ旧市街地


2 件のコメント:

  1. 長旅お疲れ様でした。またポーランドにいらっしゃってください。私も愛媛を愛する者として、今後も多くのポーランド人に日本に行くなら愛媛に行くよう勧めたいと思っています。

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  2. ポーランドと松山が繋がっているなんて、初めて知りました✨戦争は悲しいですが、その陰にある素敵なストーリーですね🍀

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